『スターバックス再生物語つながりを育む経営』スターバックスの歩みと情熱が感じられる1冊

dokusyo-starbucks

中目黒に出来ましたね!スターバックスリザーブロースタリー。
今は激混みでしょうから、落ち着いたら行ってみたいですね。

今回はそんなスターバックスに関する1冊を読みました。

カフェといえばスタバと言っても過言ではないくらい、今では日常にありふれた場になっていますよね。
そんなスターバックスの歴史と情熱が詰まった1冊でした。

構成

ひつじ

北米以外で初進出したのが日本だったらしいですよー。

いぬ

へー

全423ページで5章構成。
章立て、内容は以下のような感じです。


  1. スターバックスの誕生、ハワードの思い、成長、発展、また成長するにつれ広がる暗雲やそれに立ち向かう決意が綴られている。
  2. 信頼
    低迷し始めたスターバックスを救うべくハワードがCEOに復帰する。そしてお客様やパートナー達の信頼を一から築き直すための、復活の改革を進めていく。
  3. 痛み
    混沌としていた2008年。世界経済の低迷の煽りも受け、スターバックスは窮地に立たされた。ハワードは「閉鎖」「解雇」という一番辛く苦しい選択を余儀なくされた。
  4. 希望
    そんな中さらに追い討ちをかける出来事が。2008年9月の「リーマン・ブラザーズ」倒産だ。今までにも増して生き残る選択を迫られたがそんな危機の中でも光はあった。
  5. 勇気
    スターバックス復活のための6つのイノベーション。それらが徐々に身を結び、業績が上向き始めた。また大胆な新たな取り組みを始める。。

スターバックス体験(エクスペリエンス)

イヌ

スターバックスの名前の由来は?

ひつじ

ハーマン・メルヴェルの『白鯨』に登場する一等航海士スターバックにちなんでるらしいです。創業の地シアトル近くにあるスターボ(Starbo)採掘場からも取られてるらしいっす。(Wiki調べ)ロゴも何回か変わってるんですねー。

 

スターバックスの誕生

当初のスターバックスは今とは違い、4店舗しかないただコーヒー豆や粉を売るだけの店だった。
そんな中、ハワードがイタリア・ミラノのコーヒーバルでの心地よい空間と温かい体験により、スターバックス経験(エクスペリエンス)という今日のスターバックスの核ともいえる情熱が生まれた。

当時のスターバックスではそのバルでの体験を実現できなかったが、ハワードはその思いを捨てきれず、1986年にイル・ジョナーレというコーヒーショップを設立し、シアトルに店を開いた。
そして16ヶ月後、以前の雇い主たちから会社を買うことになった。スターバックスの買収だ。名前も受け継ぎ今日のスターバックスとなったのだ。

スターバックスへの思い

ビジネススーツに身を包んだ男女、ベビーカーを押す母親、勉強中の大学生、おしゃべりに夢中な高校生。
今でこそありふれた、そのカフェの様子は1990年半ばでさえアメリカでは滅多に見られなかった。そうした場所がごく限られていたからだ。

自宅が人と人がふれあう第1の場で職場を第2の場とするならば、カフェ——例えばスターバックス——などいわば公共の場所を、わたしは第3の場と呼んでいる。

自宅と職場のあいだにあり、公共性と個人性を併せ持つ環境、他の誰かとつながり、自分自身を再発見する場。スターバックスは当初から、そうした大切な機会を提供したいと考えてきた。

……人々とコーヒーの関係を進化させたのだ。何を飲むかから始まって、どこで、いつ飲むかを変えた。

 

 

自信は傲慢へ

ハワードの気持ちの変化

2000年末までの15年間。会社はとても好調だったが日々業務を管理していく中でなにかが変わってきていた。
以前ほど仕事にやりがいを感じられなくなっていたのだ。そして決断した。必要以上に経営に関わるのをやめ、業務を監督する務めから身を引く時だと。
会社から離れるつもりはなかったハワードはCEOを後任に任せ、会長兼グローバル戦略責任者としてつくことになった。
 

スターバックス体験のコモディティ化

スターバックスは当時エンターテイメントの分野にも拡大していた。
店舗で流すCDだけでなく、多くのミュージシャンのCDやDVDも販売するようになっていた。

また新しくCEOになったウォルマート出身のジムの、成長を追い求める経営が少しずつスターバックス体験の質を低下させていると感じ始めていた。
心が温かくなるような、安らぎを与えるような、魅力的なスターバックスのアイデンティティが、ブランドがコモディティ化してきたと感じたのだ。

自動エスプレッソマシンを導入したことによって、サービスの迅速性や効率性といった大きな問題は解決された。しかし、ロマンチックで劇場的な要素を失ったという事実を見過ごしていた。

わたしたちは焙煎したてのコーヒーを袋詰めすることに成功した。しかし、これによってなにを失っただろうか。コーヒーの香りだ。………スターバックスの店舗の伝統と遺産がが失われてしまった。

規模の効率性を実現するために、店舗デザインを簡素化しなければならなかった。しかし、その結果、魂を失ってしまった。

引用元:スターバックス再生物語 第1部 愛

商品がなんであれ、売り上げの伸びの速さを喜ぶという悪循環にとらわれていたことを私たちみんなが認めていた。戦略は過去にうまくいったことをさらに頻繁にやるというもの。あるパートナーが言った。

「私たちは走り続けているが何のために走り続けているのかわからない。」

成功は小さな欠点をかくしてしまう。スターバックスはまさにそんな状態だった。業績は拡大していたがかつての喜びや自尊心はなかった。ハワードはありきたりな企業へと落ちこぼれていく姿を黙って見ているわけにはいかなかった。

その後スターバックスの成長スピードが鈍くなり、その状態を見た新聞社やアナリストに「飽和状態」と言われるようになった。するとこれまでずっと増収増益だった既存店売り上げが落ち込み始めたのだ。いよいよ取締役会も本当に改革が必要だと感じ始めた。そしてハワードは立ち上がった。CEOの復帰である。

 

 

成長の代償

ビートルズの終わりの始まり

魂とも言えるスターバックス体験の質の低下に伴い、売り上げに陰りが見え始めた頃。世界中からシニアリーダーを集めたグローバルサミットの壇上でハワードスターバックスのその状況をビートルズになぞらえた。

「ポール・マッカートニーが、ビートルズ分裂の始まりがいつだったかを問われて、言った言葉があります。」

そう言って、わたしは1965年の夏、ビートルズが初めてニューヨークのシェイ・スタジアムで黄色い声を上げる55,000人の聴衆を前に演奏したときのことを話した。

ビートルズが最も多くの聴衆を集めたライブコンサートだった。叫び声や混沌の中で、彼らは自分たちが演奏する音が聞こえなかったという。彼らの芸術が人気にかき消されてしまったのだ。

ポールはのちに、この大コンサートが、ビートルズの終わりの始まりだっとと言っている。

……「スターバックスはいつ、自分たちの歌を聴かなくなったのでしょうか?」

引用元:スターバックス再生物語 第2部 信頼

 

全米600店閉鎖、12,000人もの解雇

2008年7月、極めて難しい決定を下す時が来た。600店の閉鎖。収益性の分析による結果だ。ハワードが最初に取締役会に提案したおよそ3倍の数だった。

閉店する店舗は徐々に発表するつもりだったが、そのことで多くのバリスタやお客様が不安に思い、どの店が閉鎖されるのか予想するブログができるなど、混乱が生じるようになった。そのため7月17日に全てを発表した。

すると数多くの人からメールや手紙が届いた。
「どうかスターバックスを閉めないでほしい」
「閉店が信じられない。失うと聞いて初めて大切さに気付いた」

ワシントン州タコマに近いレークウッド・タウンセンター店で、紫のタートルネックを着た年配の女性が手を挙げ、ハワードにこう言った。

「いくつか言わせてください。まず、ミシシッピ州マジソンにいる16歳の孫娘の話です。わたしが今晩あなたに会うと知って、孫がこう言いました。『おばあちゃん、マジソンの店を閉鎖しないよう膝をついて頼んで』」

引用元:スターバックス再生物語 第3部 痛み

ハワードはなんと言っていいかわからず「ミシシッピ州について調べてみます。」と答えた。しかし、残念ながらその店も持ちこたえられそうにはなかった。

 

 

スターバックスの歩みと情熱が感じられる物語

他にももっと紹介したいエピソードが沢山のあるのですが、とてつもなく長くなりそうなので、ここら辺で終わりにしたいと思います。

とにかくスターバックス誕生からその後の低迷・復活と、スターバックスの半生が描かれています。
そしてハワードのスターバックスにかける愛と情熱はもちろん、パートナーと呼ばれるスターバックスで働くスタッフ達もまたスターバックスへの大きな愛を持っているんだなと感じました。
ホスピタリティ溢れるあのスタバの雰囲気の原点を垣間見れた気がします。

スタバ好きな方は是非読んでみて下さい。

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